clnmnのインタビュー
clnmn:
1972年03月14日生まれ、40歳。
鳥取県出身。
現在は東京都を拠点に、物書きとして活動中。
フリーランスに所属。
吉川浩満(よしかわ・ひろみつ) | 国書刊行会、ヤフーを経て、フリーランスの物書き。 ときどき素人卓球指導。 著書に『心脳問題——「脳の世紀」を生き抜く』『問題がモンダイなのだ』、訳書に『MiND——心の哲学』(J・サール著)ほか。 関心領域は哲学、愛犬マ、卓球、ロック、単車など。 | Hiromitsu YOSHIKAWA. a bookwriter, addicted to philosophy, motorcycles and dogs.
哲学に興味をもったきっかけですね。小学生のころ父の書斎にあったLoeb Classical Libraryからこっそり一巻を拝借して……というのは嘘で、高校を卒業して田舎から東京へ出てきたばかりのころ、大学の講義で出会ったのが直接のきっかけです。具体的な書名や内容などは忘れてしまいました。
それまでは哲学どころか文化的なものや学問的なものに興味をもったことなどありませんでした。高校を卒業するまで卓球のことばかり考えて過ごしてきましたから。もちろん世の中に哲学なるものがあるらしいということは知っていました(おそらく)。あまつさえそれで食っているという哲学者なる生き物がいるらしいことも噂には聞いていました(たぶん)。でも当時の自分にとって哲学はあまりにも遠い存在で、それに類することを10秒以上継続して考えたことは一度もなかったんじゃないかと思います。
大学の講義や図書館で自らその実在を確認したとき、最初に感じたのは不自然さと居心地のわるさでした。なんでこんな難しいことを考えたり書いたりしなきゃならないのか見当がつかなかったのです。ほかの学問――法学とか経済学とか工学とか生物学とか――についてはそれほど違和感を覚えませんでした。ただ哲学については内容はおろかその存在自体が不可解だった。そこで興味本位にいろいろと調べていくうちにハマッてしまったという次第です。こわいもの見たさから覗きをはたらいているうちに中毒者・常習犯になってしまったという感じでしょうか。実際まるで中毒者のように読みあさりました。
しかし不自然さはぬぐえません。哲学の本を読んだり物を書いたりするのは、いまなおぼくにとって非常な苦痛をともなう営みです。読むのにも書くのにも、ものすごく時間がかかります。ただいま絶賛連載中の仕事にしたって、苦しくて苦しくて、とてもやりきれない。どうしてこんなことをしているのかよくわからなくなります。まあ、哲学にかぎらず読み書き算盤の全般が、ぼくにとっては不自然きわまりない営みなのですが。世の中には息を吐くように本を読んだり物を書いたりする人がいるようで、またそれが楽しくて楽しくてしかたがないという人がいるようで、まことにうらやましいかぎりです。
だから、人から「哲学が好きなんですね」とか「本が好きなんですね」などと言われると、いつも居心地のわるい感じになります。相手はとくに深い意図もなくお愛想や社交辞令で聞いているだけにちがいないのに、毎回毎回けっこう本気で言葉に詰まってしまう。そういうとき、「(いろいろあるけど、ぜんぶひっくるめて)好き」と素直に答えられたらよいのですが(まあ実際そうなんだろうし)、まだそのような成熟した段階にはいたっておりません。
こんなところですが、具体的な哲学者の名前が挙がっていませんね。せっかくの機会なので挙げておきます。(この辺のことはいままで書いたことがなかったと思いますが)好きな哲学者はドゥルーズとウィトゲンシュタインです。普通に考えると二人は敵対的な関係にあると思いますが、いつもその間をフラフラとさまよっています(これからもしばらくはさまよいつづけるでしょう)。好きというのとは少しちがいますが、尊敬するというか畏敬の念を抱かざるをえないのはカントとエピクテートスです。なぜだかいつも気になるのはハイデガーです。あと、これはちょっと不思議な感覚なのですが、同意するつもりはないのに「気持ちがわかる」ような気がして困るのが、アドルノとアルチュセールです。スピノザとライプニッツは、わかりたいのにまだよくわかりません。
それぞれの哲学者や作品について、どうしてそう思うのかを書かなきゃいけない気もするのですが、それはあまりにもしんどいので、今回は勘弁してください。以上です。
それまでは哲学どころか文化的なものや学問的なものに興味をもったことなどありませんでした。高校を卒業するまで卓球のことばかり考えて過ごしてきましたから。もちろん世の中に哲学なるものがあるらしいということは知っていました(おそらく)。あまつさえそれで食っているという哲学者なる生き物がいるらしいことも噂には聞いていました(たぶん)。でも当時の自分にとって哲学はあまりにも遠い存在で、それに類することを10秒以上継続して考えたことは一度もなかったんじゃないかと思います。
大学の講義や図書館で自らその実在を確認したとき、最初に感じたのは不自然さと居心地のわるさでした。なんでこんな難しいことを考えたり書いたりしなきゃならないのか見当がつかなかったのです。ほかの学問――法学とか経済学とか工学とか生物学とか――についてはそれほど違和感を覚えませんでした。ただ哲学については内容はおろかその存在自体が不可解だった。そこで興味本位にいろいろと調べていくうちにハマッてしまったという次第です。こわいもの見たさから覗きをはたらいているうちに中毒者・常習犯になってしまったという感じでしょうか。実際まるで中毒者のように読みあさりました。
しかし不自然さはぬぐえません。哲学の本を読んだり物を書いたりするのは、いまなおぼくにとって非常な苦痛をともなう営みです。読むのにも書くのにも、ものすごく時間がかかります。ただいま絶賛連載中の仕事にしたって、苦しくて苦しくて、とてもやりきれない。どうしてこんなことをしているのかよくわからなくなります。まあ、哲学にかぎらず読み書き算盤の全般が、ぼくにとっては不自然きわまりない営みなのですが。世の中には息を吐くように本を読んだり物を書いたりする人がいるようで、またそれが楽しくて楽しくてしかたがないという人がいるようで、まことにうらやましいかぎりです。
だから、人から「哲学が好きなんですね」とか「本が好きなんですね」などと言われると、いつも居心地のわるい感じになります。相手はとくに深い意図もなくお愛想や社交辞令で聞いているだけにちがいないのに、毎回毎回けっこう本気で言葉に詰まってしまう。そういうとき、「(いろいろあるけど、ぜんぶひっくるめて)好き」と素直に答えられたらよいのですが(まあ実際そうなんだろうし)、まだそのような成熟した段階にはいたっておりません。
こんなところですが、具体的な哲学者の名前が挙がっていませんね。せっかくの機会なので挙げておきます。(この辺のことはいままで書いたことがなかったと思いますが)好きな哲学者はドゥルーズとウィトゲンシュタインです。普通に考えると二人は敵対的な関係にあると思いますが、いつもその間をフラフラとさまよっています(これからもしばらくはさまよいつづけるでしょう)。好きというのとは少しちがいますが、尊敬するというか畏敬の念を抱かざるをえないのはカントとエピクテートスです。なぜだかいつも気になるのはハイデガーです。あと、これはちょっと不思議な感覚なのですが、同意するつもりはないのに「気持ちがわかる」ような気がして困るのが、アドルノとアルチュセールです。スピノザとライプニッツは、わかりたいのにまだよくわかりません。
それぞれの哲学者や作品について、どうしてそう思うのかを書かなきゃいけない気もするのですが、それはあまりにもしんどいので、今回は勘弁してください。以上です。
2012-02-22 06:57:07
もし物書きをしていなかったら、その直前まで勤務していたインターネットの会社(ヤフー)で、いまでも働いていたかもしれません。でも、そもそもしんどくなってヤフーを辞めたわけなので、いまの物書き仕事がなければ、はたしてどうなっていたことやら。見当もつきません。いまわたくしに仕事をくださるみなさまに感謝します。
2012-02-05 16:25:01
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