THE INTERVIEWS

元々僕は仙台の高校生時代The CUREとEcho & the bunnymenが好きで
そういったギターバンドをやっていました。バンド名はThe Cutemenで、
由来もCure+BunnymenでCuremenじゃあんまりなんで一文字変えてCutemenという
安直なものだったんですが、地元ではけっこうな動員を誇り、自主盤も好評だったので
調子に乗ってバンド全員で上京したんです。僕が19歳の春のことでした。

しかし東京は甘くなかった。どこのライブハウスの昼の部のオーディションでも
言われることはいつも同じ。「洋楽っぽすぎる」

洋楽っぽくて何が悪いんだ!?
派手な衣装着て派手なメイクして、歌謡曲みたいなメロディーとアレンジを施した
クソみたいなバンドばかりが大人気・・・だっせぇええええ!!!東京だせえ!!

と激しく憤ったのを覚えています。

その頃僕は出はじめの頃のインダストリアル/エレクトロニック・ボディーミュージック
に心酔しだして、バンドは自然消滅してしまいました。

バンドという形態自体がダサい!もっと流動的なユニットがやりたい!と思い
誰も知らないような超マニアックなイギリスやヨーロッパのインダストリアル/ボディー系の
グループ名を羅列して、こういう趣味の人一緒にユニットをやりましょうという張り紙を
都内の主要なライブハウスやクラブに貼りまくってみました。

そこでただ一人、連絡をしてきたのが石野卓球です。

チラッと飲みに行って音楽談義をし、連絡先を交換して別れました。

それからしばらくして卓球からまた連絡があり、
「人生を解散して新ユニットをやるので手伝って欲しい」と言われました。

もうすでにライブも数本決まってるとのことで、即決即返しないといけなかったので、
じゃあライブをやりながら様子を見ようと思い手伝うことにしました。

その後は倍々ゲームでライブの動員が増え、トントン拍子でデビューという事に。

ちょっとの期間しか電気グルーヴにいませんでしたが、デビュー前の数々のライブや
暑い卓球の部屋で二人でパンツ一丁で一緒に曲作りをしたこと、マンチェスターでの
レコーディング。一生忘れられない濃い期間でした。

僕がプロとして活動をはじめるきっかけを与えてくれたのは他の誰でもない卓球であり、
彼への感謝とリスペクトは計り知れません。

まあ、たまに飲んで、彼がある一定以上酔っ払うと死ぬほどめんどくさいですけど(苦笑)

2011-09-12 13:56:06