THE INTERVIEWS

にょんヽ(*・-・)ノ

erutuf: 生活がにがてです。すうがくがすきです。計算機まわりのことも興味があります。言葉がすきです。自己紹介がにがてです。
よく覚えていません。小学生のころの一時期、ダイヤルアップ接続音が怖くてインターネットに近付こうとしなかったのは覚えています。

でもまぁ調べ学習するときに必要になったり、見たいサイトがあったりして、自然といつのまにか使うようになっていました。

2012-01-20 22:35:50



そもそも明確な溝ってあるのですかね。もっとぐにゃぐにゃ混じり合っているかもしれない。あとは、横たわっているというより、溝は引きたいように引いた、とも言えます。

ねこと猫が違うと感じ始めたのは Twitter の影響です。もともと私は猫の見た目をそれほどかわいいと思っていなく、特別好きでもありませんでした。だけれどタイムラインを見ていると、たくさんの猫好きが時折猫について言及します。タイムラインは文字情報だけから成りますから、なんだか私は猫に対して今までと違った印象を持ったのでした。

とくに「ねこ」です。文字情報だけですから、ひらがなと漢字の差は重大。「ね」は、感動詞の「ね」のイメージが強いせいか、やわらかい感じがする。「こ」に関しては、たぶん「こ」はきれいだけど絶対にそれである必要はない、「ねっこ」や「ねむる」でも文字だけとしては良いのでしょう(「ねずみ」は「ず」のあたりが却下)。だからねこは文字列としての、ある程度のきれいさは持っているようです。

文字列の見た目だけではなく、その意味も含めて、「ねこ」は輝き出します。文字列のきれいさに加えて、猫のぼんやりした像があたまの中に映し出され、猫の一般的なイメージとしてののんびりした、マイペースな感覚が浮かび、おだやかな気持ちになれる。これが「ねっこ」との違いでしょうか。「ねむる」はそれはそれで好きですが、ねことはちょっと異なる好き。「ねこ」で映し出されるぼんやりした像は、ぼんやりしているところが重要なのであって、猫の画像情報なのであれば私は興味を持たないのでしょう。

一方「猫」はどうかというと、私は動物としての猫そのものを思い浮かべるだけなのです。その辺を歩いている動物の一種、それだけの印象。きっと「ねこ」にある文字列の印象からの引き金が、「猫」にはないのです。

すると「ねこ」と「猫」に自然と差が出てくる。「ねこ」はなんだか好きみたいなので、「ねこ」の側を特別視しようと思い、自ら差を出そうとしたのかもしれません。「ねこ」は、その辺を歩いているようないわゆる「現実の猫」ではなく、それに付加されたイメージの部分だけを取り出された(もしくは、取り出した)のだと思います。主観的、という言葉が似合うように感じます。

だから「ねこ」と「猫」に横たわる溝があるとすれば、主観的か客観的か、なのじゃないのかなぁ。最初にも述べたとおり、ハッキリした区別はできないようにも思えますし、溝は自分で作っていったようにも思えます。少なくとも、「ねこ」に主観的な成分が多いのはたしかです。

「ねこ」が膨らみすぎたときは、要注意です。

2011-10-09 18:45:53


いまのところ、有限生成 Abel 群の基本定理とか Sylow の定理とかがすきです。群論を勉強し始めて本にそれらが出てきたとき、なんだかとてもわくわくしたのをよく覚えています。

ただそれらを巧みに使いこなせるわけではないですし、私の知らない魅力はもっとずっとあるのかもしれません。なぜってこういうことは数学を勉強しているとしょっちゅう起こるから。


苦手な定理ですか。「よく分かんないなぁ」と感じる定理ならありますが、その定理の分野の勉強をもうちょっと進めたり、関連する他の分野を勉強するなどといった切っ掛けで分かってくる過程がたのしいので苦手というと違和感があります。

ひとつ言うなら人生の定理が苦手です(やっつけ)。

2011-09-18 19:48:16


手をたたいています。

たまに、あたまもたたきます。

2011-09-11 23:34:16


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