ここだけの話、ね。
インタビュー、したことは数々あれども、されたことはございやせん。こんなアタシでよかったら、かかってきなさい。
hardcorefrog:
1962年07月19日生まれ、49歳。
千葉県出身。
現在は東京都を拠点に、DJという名のろくでなしとして活動中。
メキヒゴンに所属。
hardcorefrogこと、箱蛙。DJ名はera。その昔はシライユタカという名前もありました。
とにもかくにもハマリやすく、いったんハマるとまっしぐらな性格です。音楽とぱーちーは一生もんとして、ここ数年はトイデジ・VQ1005とボブ・ディラン、そしてフィギュアスケートTV鑑賞にどっぱまり中。なでしこでサッカーにもはまり加速。食いしん坊万歳!でもありますが、料理は下手の横好き。また、日本でいちばん浪曲好きなDJでもあります。おまけに何故か中学生時代からの吸血鬼熱が復活の予感…。
このままいくと、好奇心で自分を殺しそうですが、それもまた一興かと。
【小学生時代】
2,3年の頃は異様なほどドッジボールに熱中。15分休み・昼休み・放課後のすべてをドッジボールに費やす。気づいたら、ドッジに飽きた女子はいなくなり、男子の中にただひとり混ざってドッジ三昧。3年生の終わりに6年生男子と対戦し、こてんぱんに負ける。被弾した右腿が数日間腫れあがって、力の差ってすげーなーと痛感したのがドッジはまり最後の思い出。
4年生になる頃、小児喘息にかかったためにインドア派への転向を余儀なくされる。仕方なく読書に熱中。世界児童文学全集全60巻をほぼ読破。いちばん好きで何度も読み返したのは、ギリシャ神話でありました。この頃から一気に視力低下でメガネ人生に突入。
そうそう。小学生の頃、我が家ではテレビは一日30分しか見せてもらえなかった。加えてドリフ禁止であったためか、いまだにお笑いには疎く、民放バラエティは苦手。
仲の良かった女子友達の家に遊びにいった時、彼女のお姉さんの部屋に貼ってあったミッシェル・ポルナレフのポスター(全裸で白いロングマフラー一丁)に衝撃を受けたのも忘れられません。
と、同時になぜか「中学生になったら洋楽聴くんだ!ビートルズ聴くんだ!」と心に決めていて、早く中学生になりたくてしょーがなかった。どういう線引きしてたんだろう…。
【中学生時代】
英語の勉強を口実に、まんまと自分用のラジカセを買って貰い、ラジオで洋楽をエアチェックする日々がスタート。とはいえ、日本はニューミュージック・ブームとやらで、そこらへんにもフツーに親しむものの、最終的には馴染めず。なんかしみったれたマイナーコードの歌が気持ち悪かったらしい。。。
クィーン、キッス、ベイ・シティ・ローラーズの黄金期ではありましたが、自分的にはガツンと来るものになかなか出逢えなかったところに、パンクの衝撃がどっかーん!!入口は中学校の放送室で初めてきいたセックス・ピストルズ。
放送室にはロック好きがしょっちゅう入り浸っていて、それぞれが買ったレコードを持ち寄り、大音量でかけて盛り上がってた。私はというと、おこづかい月1000円だったので自分ではレコが買えなかったのだけどね。
昼休みに体育館の放送室で適当にクラシックやポピュラー(ポール・モーリアとか。基本ロック禁止だった。なぜかビートルズとカーペンターズは可)を流していたとき、思いつきでフォークダンス(オクラホマミキサーやジェンカ、マイムマイムなど)をかけたところ、踊り出す生徒続出。盛り上がりすぎてクレームがつき、結局「体育館ではダンス禁止」に。今でも少し高いところにあった放送室から、どんどん踊りの輪が広がって盛り上がっていくフロアの風景は脳裏に焼き付いております。私というDJの原点。
あとね、空前のベルばらブームだったんですよ、中1の時。クラスメートとタカラヅカ花組を観たのが、初めての観劇体験。前日夢にまで見たのだけど、幼い夢をはるかに凌駕する舞台ってものにたまげましたね。図書館に通ってフランス革命の書籍を読みあさったり、ベルばら仲間とラ・マルセイエーズを熱唱したりして、男子達に気味悪がられてました。
【高校生時代】
はっきりいって、ろくな思い出がない。教師やクラスメートにまるっきり馴染めず、1,2年生のころは退学したくてしょうがなかった。熱心にやってた唯一のことは女子バンド活動。最初はキーボードだったけど、仲間のひとりがシンセを買ったのでドラムに転向。ここらへんで、今のドラム体質でベース好きという指向が決定されたのだなぁ。
【専門学校生時代】
4年生大学受験に失敗して、手に職をつけるために専門学校へ入り、まんまと半年で就職して社会人とやらに。大学生時代っていうのがないので、キャンパス・ライフ満喫経験なし。大学生時代があったならもっと映画をいっぱい観る時間とか、やみくもに読書に耽るヒマがもてただろうなぁと思ったけれど、あとのまつり。
思いつくままにだらら〜っとお答えしてみました。くだらなくて、すみません。
2,3年の頃は異様なほどドッジボールに熱中。15分休み・昼休み・放課後のすべてをドッジボールに費やす。気づいたら、ドッジに飽きた女子はいなくなり、男子の中にただひとり混ざってドッジ三昧。3年生の終わりに6年生男子と対戦し、こてんぱんに負ける。被弾した右腿が数日間腫れあがって、力の差ってすげーなーと痛感したのがドッジはまり最後の思い出。
4年生になる頃、小児喘息にかかったためにインドア派への転向を余儀なくされる。仕方なく読書に熱中。世界児童文学全集全60巻をほぼ読破。いちばん好きで何度も読み返したのは、ギリシャ神話でありました。この頃から一気に視力低下でメガネ人生に突入。
そうそう。小学生の頃、我が家ではテレビは一日30分しか見せてもらえなかった。加えてドリフ禁止であったためか、いまだにお笑いには疎く、民放バラエティは苦手。
仲の良かった女子友達の家に遊びにいった時、彼女のお姉さんの部屋に貼ってあったミッシェル・ポルナレフのポスター(全裸で白いロングマフラー一丁)に衝撃を受けたのも忘れられません。
と、同時になぜか「中学生になったら洋楽聴くんだ!ビートルズ聴くんだ!」と心に決めていて、早く中学生になりたくてしょーがなかった。どういう線引きしてたんだろう…。
【中学生時代】
英語の勉強を口実に、まんまと自分用のラジカセを買って貰い、ラジオで洋楽をエアチェックする日々がスタート。とはいえ、日本はニューミュージック・ブームとやらで、そこらへんにもフツーに親しむものの、最終的には馴染めず。なんかしみったれたマイナーコードの歌が気持ち悪かったらしい。。。
クィーン、キッス、ベイ・シティ・ローラーズの黄金期ではありましたが、自分的にはガツンと来るものになかなか出逢えなかったところに、パンクの衝撃がどっかーん!!入口は中学校の放送室で初めてきいたセックス・ピストルズ。
放送室にはロック好きがしょっちゅう入り浸っていて、それぞれが買ったレコードを持ち寄り、大音量でかけて盛り上がってた。私はというと、おこづかい月1000円だったので自分ではレコが買えなかったのだけどね。
昼休みに体育館の放送室で適当にクラシックやポピュラー(ポール・モーリアとか。基本ロック禁止だった。なぜかビートルズとカーペンターズは可)を流していたとき、思いつきでフォークダンス(オクラホマミキサーやジェンカ、マイムマイムなど)をかけたところ、踊り出す生徒続出。盛り上がりすぎてクレームがつき、結局「体育館ではダンス禁止」に。今でも少し高いところにあった放送室から、どんどん踊りの輪が広がって盛り上がっていくフロアの風景は脳裏に焼き付いております。私というDJの原点。
あとね、空前のベルばらブームだったんですよ、中1の時。クラスメートとタカラヅカ花組を観たのが、初めての観劇体験。前日夢にまで見たのだけど、幼い夢をはるかに凌駕する舞台ってものにたまげましたね。図書館に通ってフランス革命の書籍を読みあさったり、ベルばら仲間とラ・マルセイエーズを熱唱したりして、男子達に気味悪がられてました。
【高校生時代】
はっきりいって、ろくな思い出がない。教師やクラスメートにまるっきり馴染めず、1,2年生のころは退学したくてしょうがなかった。熱心にやってた唯一のことは女子バンド活動。最初はキーボードだったけど、仲間のひとりがシンセを買ったのでドラムに転向。ここらへんで、今のドラム体質でベース好きという指向が決定されたのだなぁ。
【専門学校生時代】
4年生大学受験に失敗して、手に職をつけるために専門学校へ入り、まんまと半年で就職して社会人とやらに。大学生時代っていうのがないので、キャンパス・ライフ満喫経験なし。大学生時代があったならもっと映画をいっぱい観る時間とか、やみくもに読書に耽るヒマがもてただろうなぁと思ったけれど、あとのまつり。
思いつくままにだらら〜っとお答えしてみました。くだらなくて、すみません。
2011-09-21 12:06:09
HARDCORE WILL NEVER DIE!!!
人生、はまりとぶっとばし。
人生、はまりとぶっとばし。
2011-09-21 11:05:53
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