先日、twitterでこういう言葉を拾いました。「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」なんとなく同意するところなんですが、ここで質問です。自分を何者だと考えますか?
「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」これ、僕もすごくわかる気がします。僕みたいに写真を撮る側の人間が「わかる」とか言っちゃ駄目なんだろうけど、でも同じようなことを言われた時もあるし、写真って絵画や音楽と違って原則的にシャッターを押せば写ってしまうんで、簡単なんですよ。写真を80年間撮り続けている人と今日初めてカメラを持った10歳の子供が同じ露出に設定したカメラを持って同じ立ち位置で同じ方向にレンズを向けたら全く同じ写真が撮れてしまう。これが写真です。「何者にもなれないオタク」ていう言葉が一度何者かになろうとしてそれをあきらめたり挫折した人間や人生に対して何らかの鬱屈を抱えたある種の人間を指すのであれば、そういった人たちがカメラを手に持って「何か出来るかな」「おもしろいな」と考えたりカメラそのものが好きになったりするのは、僕は自分の経験則としてすごくわかる気がする。写真はそういう人間を惹きつける優しくて残酷なところがあるから。それで、ここからはこの質問をしてくれた人に対してじゃなくここで引き合いに出された「何者にもなれない」とされる人たちに対して僕は語りかけたいんだけど、もしこれからカメラ(絵筆でも縫い針でもギターでもペンでもパソコンでも包丁でも何でもいい)を持ったあなたが「きっと何者にもなれない人間に限って、それを極めようとするよねぇ…」的な言葉を投げかけられた場合には、絶対にそれを言った相手のねっとりとした土俵には乗らず「だから、何?」と言って軽やかに無視して下さい。言葉には自分にとって「アクセルになる言葉」と「ブレーキになる言葉」の二種類があって、たとえ不器用でも自分の足で立って何かをやって行こうという人間に対して「ブレーキになる言葉」ばかりやたらとかけてくる人ってどこにでもいるんですよ。「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」ていうセリフについて考えてみると、この言葉っておそろしく中身がないわりには聞かされたあなたにイヤな気分だけを残しますよね。うんこを投げられてるのといっしょなんです。あなたが何をやっている人かに関わらず何かをやろうとしたら絶対に「それをやって何になるの?」という人が出てくる。そこで足を引っ張られないようにして下さい。繰り返しになるけど「ブレーキになる言葉」ばっかりかけてくる人間はどこの世界にも一定数いる。愛があればまだいいけど、家族や恋人でもあるまいし何の愛もないのにブレーキだけを立派にかけてくる。もしあなたがダイエットしようと思ってる人だったら「前も失敗したのにまたやるの?」仕事を探している人だったら「どうせまた辞めるんでしょ?」陰気な性格を明るくしようと思ったら「そんな事したって無駄だって…」例をあげていくとキリがないんだけど、僕たちはそういった、他人に簡単にうんこを投げてくる人たちを軽やかに無視して前に進んで行く強さを持たないといけない。こういうブレーキになる言葉をかけられて今もとまどったり傷ついたりしている人はたくさんいると思うけど、僕は一人のカメラを持った人間としてあなたに言いたいのは、馬鹿だと言われても何者にもなれないオタクとか言われても、自分が何かを好きになった気持ちをしっかりと信じて、前だけを向いて歩いて行こうという事です。僕もあなたもそれで楽しくやっていければ笑って往生できますよ。最後にいちおう頂いた質問に戻るんだけど、僕が何者なのかはプロフィールにしっかりと書いています。質問しているあなたは何者なんだろうな?
2011-09-26 22:22:26
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