中学生のときはかなり変わったクラスで、当時で言う「ツッパリ」と勉強のできる「良い子」が仲良かったのです。
生徒総会なんかあると、中2病のガキどもとしては生徒委員会の自主性が先生のあまり納得できにくい決めつけで損なわれてたりすると気に食わないわけで、質問で集中砲火をくらわせたくなるわけです。でもそういうことやってると1人あたりの質問時間が制限されたりして。
そうすると今度は「良い子」がブレーンになって、あまり良くない子も一緒になって、全員攻撃で生徒総会を紛糾させるわけです。もうね、マンガみたいに典型的なツッパリ中学生が、生徒総会で質問攻めをしているエヅラ、なかなかシュールなものがありました。
80年代のしらけ世代としては「いったいこいつらなにやってんだろう」と、まわりはあきれてみてたと思うのですが。
昨年10何年ブリかで同級会があったのでワクワクして行ったのに、愕然としてしまいました。
同級生は僕のこと覚えているのに、僕は名前も思い出せないひとがかなりいました。楽しかったなあと思っていたのに、なにが楽しかったのかあんまり覚えていなかったんですよ。やれやれ、あんなに楽しかったと思っていた人たちと、実際には縁はなかったらしいということと、自分はずいぶん薄情モノなんだなぁと、ちょっと寂しかった。あの頃の自分は、もういないんだなと実感しました。
で、まあその頃から親が貧乏しだしまして、どうやらおいらは大学というところには行けそうにないらしいと。
成績は悪いほうではないものの、上のようなことやって先生方には嫌われていたので(苦笑)、奨学金制度のようなものも望めないということで、まあ職業科の高校にいっておこうかなと。
小学生のときはコンピューター (MSXとか) のプログラミングが好きだったので、当時できてまだ3年目の長野工業高校 情報技術科にはいったわけです。
僕の頃は第2次ベビーブームのいちばん頂点ぐらいのときなのと、当時まだまだめずらしかった情報技術科ということで、かなり倍率たかかったみたいです。なので、先生達も選りすぐりの生徒が集まったようなことを言ってました。
ただし、残念ながらコンピューターなんか触ったこともない生徒が9割であり、先生方もみんながみんなしっかりと教えられるスキルを持っていたわけではなかったのです。あ、もちろん最近の事情はよく知りませんけどね...。
そして、歴史や伝統はしらないけれども、なんだかんだ言って典型的なその頃の工業高校であって、他の科の生徒はやっぱりヤンキーというかなんというか、ビーバップハイスクール状態なわけです。
入学のときはレベル高かったかなんかしらんけど、必然的にみんなそれなりに普通科より勉強できないレベルに落ち着くことになるわけで。
専門教科も、いわいる即戦力としてプログラミングできる人材を育てたかったんだそうだけれども、授業で週に数時間しかコンピューターに触れないような子がそこまでたどり着くのは難しいわけです。
結局単位を成立させるために、せいぜいほぼできているプログラムソースの穴埋め問題をテストとして出題することしかできないと、当時の先生達は嘆いていました。
で、そのテストなんだけど、例えばC言語の問題で、穴のあいていないところのコードがポインタの使い方間違っていたりして、実行してもおそらく動かないようなコードで出題されていたりしてね。
これは指摘したほうが良いのか?いやテストなんだから期待されているであろう答えを答えておけば良いのか?期待された答えを入れたところで、実際にはやっぱり動かないんだけど、どうしたもんだろうなあと悩んだりしまして。
でまあ、そんな感じだったもので、なんか学校いくのめんどくさくなっちゃいましてね。
ずいぶんさぼっていました。
当時中島らもがエッセイで、「大学に行くのは無駄なことではない。人生でまったくなんにもしなくても許される時間を体験しておくことは必要だ」みたいなことを書いてまして、ああ、おれは今がそうなんだなあなどとクソ生意気なことを思っていましたが。
そんなこんなで、卒業証書をもらうのももちろん卒業式より後になるわけです。
(「社会人になりたての頃のエピソードなどを聞かせてください」に続く)
生徒総会なんかあると、中2病のガキどもとしては生徒委員会の自主性が先生のあまり納得できにくい決めつけで損なわれてたりすると気に食わないわけで、質問で集中砲火をくらわせたくなるわけです。でもそういうことやってると1人あたりの質問時間が制限されたりして。
そうすると今度は「良い子」がブレーンになって、あまり良くない子も一緒になって、全員攻撃で生徒総会を紛糾させるわけです。もうね、マンガみたいに典型的なツッパリ中学生が、生徒総会で質問攻めをしているエヅラ、なかなかシュールなものがありました。
80年代のしらけ世代としては「いったいこいつらなにやってんだろう」と、まわりはあきれてみてたと思うのですが。
昨年10何年ブリかで同級会があったのでワクワクして行ったのに、愕然としてしまいました。
同級生は僕のこと覚えているのに、僕は名前も思い出せないひとがかなりいました。楽しかったなあと思っていたのに、なにが楽しかったのかあんまり覚えていなかったんですよ。やれやれ、あんなに楽しかったと思っていた人たちと、実際には縁はなかったらしいということと、自分はずいぶん薄情モノなんだなぁと、ちょっと寂しかった。あの頃の自分は、もういないんだなと実感しました。
で、まあその頃から親が貧乏しだしまして、どうやらおいらは大学というところには行けそうにないらしいと。
成績は悪いほうではないものの、上のようなことやって先生方には嫌われていたので(苦笑)、奨学金制度のようなものも望めないということで、まあ職業科の高校にいっておこうかなと。
小学生のときはコンピューター (MSXとか) のプログラミングが好きだったので、当時できてまだ3年目の長野工業高校 情報技術科にはいったわけです。
僕の頃は第2次ベビーブームのいちばん頂点ぐらいのときなのと、当時まだまだめずらしかった情報技術科ということで、かなり倍率たかかったみたいです。なので、先生達も選りすぐりの生徒が集まったようなことを言ってました。
ただし、残念ながらコンピューターなんか触ったこともない生徒が9割であり、先生方もみんながみんなしっかりと教えられるスキルを持っていたわけではなかったのです。あ、もちろん最近の事情はよく知りませんけどね...。
そして、歴史や伝統はしらないけれども、なんだかんだ言って典型的なその頃の工業高校であって、他の科の生徒はやっぱりヤンキーというかなんというか、ビーバップハイスクール状態なわけです。
入学のときはレベル高かったかなんかしらんけど、必然的にみんなそれなりに普通科より勉強できないレベルに落ち着くことになるわけで。
専門教科も、いわいる即戦力としてプログラミングできる人材を育てたかったんだそうだけれども、授業で週に数時間しかコンピューターに触れないような子がそこまでたどり着くのは難しいわけです。
結局単位を成立させるために、せいぜいほぼできているプログラムソースの穴埋め問題をテストとして出題することしかできないと、当時の先生達は嘆いていました。
で、そのテストなんだけど、例えばC言語の問題で、穴のあいていないところのコードがポインタの使い方間違っていたりして、実行してもおそらく動かないようなコードで出題されていたりしてね。
これは指摘したほうが良いのか?いやテストなんだから期待されているであろう答えを答えておけば良いのか?期待された答えを入れたところで、実際にはやっぱり動かないんだけど、どうしたもんだろうなあと悩んだりしまして。
でまあ、そんな感じだったもので、なんか学校いくのめんどくさくなっちゃいましてね。
ずいぶんさぼっていました。
当時中島らもがエッセイで、「大学に行くのは無駄なことではない。人生でまったくなんにもしなくても許される時間を体験しておくことは必要だ」みたいなことを書いてまして、ああ、おれは今がそうなんだなあなどとクソ生意気なことを思っていましたが。
そんなこんなで、卒業証書をもらうのももちろん卒業式より後になるわけです。
(「社会人になりたての頃のエピソードなどを聞かせてください」に続く)
2011-08-25 17:25:29
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