THE INTERVIEWS

いわたさん何考えてんの?

作るのも好きだが、考えるのも嫌いじゃないよ。難しい質問でも何でも。
いわたさん: 1975年04月16日生まれ、37歳。 愛知県出身。 現在は兵庫県を拠点に、製造業の設計として活動中。 サラリーマンしながらフィギュアも作る。 大学時代にときめきメモリアルにハマり海洋堂のガレージキットフィギュアを買っては作り、専用のホームページを立上げ。後に自分でも原型を作るようになり、ワンダーフェスティバルにディーラーとして出展。そしてガレージキットイベントにおける当日版権システムへの不満からオリジナルフィギュアでイベントへ出展するようになる。2005年にそれまでに得たフィギュア製作技術の集大成として「かわいい女の子フィギュアを作ろう!」を出版。2009年に結婚。現在は一児のパパ。家庭を持った事でフィギュアにかける時間が減り、製作ペースは落ちたが、それでも情熱だけは失わずに製作を続ける…。

8cmCDも懐かしいな

森口博子の「ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜」でした。CDラジカセを買ってもらったのと、ガンダムF91が公開された時期が同じだったのでこうなりました。でもそんなにたくさん聴かなかったような気がしますねぇ。

2011-12-25 11:43:47



当時はホームページってグレーが下地だったなぁ

 インターネットですか?一般の人に比べるとかなり早い方だったんじゃないかな。大学入学時なので、1994年ですかね。情報系の学科だったので、入学と同時にネットに繋げられる環境を与えられました。大学内にパソコン部屋みたいなところがあって、そこに行ってログインして使ってたくらいです。
 当時はインターネットと言うのは通信方式を指す名称でして、今のようなWebブラウザがなくて、できる事といったらメールとニュースくらい。ニュースってのは今で言う2ちゃんねるみたいな匿名掲示板で、そこでゲームの情報交換とかをしていたくらいかな。大した事はやってませんでしたね。
 その内友人から「モザイクって知ってる?」なんて事を言われるようになって、勧められるままにモザイクってソフトを使ってみると、ホームページってヤツが出てきました。すでに大学生と思われる人が作った趣味サイトとかも出来ていたかなぁ。Yahoo!もすでにあったけど、今のように自動的に世界中のサイトを検索する物じゃなくて、自分のサイトをYahoo!に申請して登録してもらう方式だったなぁ。
 このホームページってのが一般的になってきたのはWindows95が発売してインターネットエクスプローラが世に出た頃からだろうと私は思っていますが、それよりも前にインターネットには出会っていた事になります。それほど興味はありませんでしたがね。
 大学4年になった1997年、これまた友人に勧めれて自分のサイトを作る事になりました。この時、大学とは別の場所にアカウントを設置してサイトを置いたんですが、それからインターネットと深く関わることになりましたね。本当の意味でインターネットとの出会いはこの時だったんじゃないかなぁと思います。

2011-12-25 02:51:02


東大寺戒壇院 広目天立像

 作るかも知れません。というか、次回作の候補に仏像は入ってました。
 一番作りたいなぁと思ったのは東大寺戒壇堂の広目天です。あの表情、カッコイイですよね。でも、これその物を作るってのは本物を縮小するだけの事で、それじゃあ、仏像じゃなくてスケールモデルです。自分が作りたいのはそういう物じゃない。仏像ってやっぱり、祈りとか願いから生まれる物だと思うんです。やっぱ自分なりに何を願うのか、もう少し頭を整理する必要があるなと思ってます。
 フィギュアはかわいい物が多いけど、かわいいってのは対象を目下に見た感覚。仏像は自分よりも目上の存在に見えなくてはいけないので、取り組む姿勢も違ってくると思います。ワンフェスでそれを見た人が、思わず手を合わせたくなってしまうくらいのレベルを目指したい。でもそれを複製して売る。値札の付いている仏様っていう今までに無い価値観が表現できたら良いなって思います。

2011-09-12 01:53:39


 ある日秀和システムの編集さんからメールが来ました。「フィギュア関連のの書籍を発刊したいと思っていた。」「そちらのWebページに製作方法などまとめられており、大変役に立った。」「『書き直したい』とあるが、書籍として書き起こしてもらえないか。」と言う内容でした。
 Webにまとめていたのは、ガレージキットの作り方であったのですが、私としては原型製作の仕方をまとめて何らかの形で発表したいと思っていたので、その意向を伝えました。すると、その編集さんもフルスクラッチの本が欲しいとの事だったので、すぐに意気投合して企画内容が決まったという感じでしたね。
 その後私が企画書っぽいものを書いて、それをベースに編集さんが企画書を作って企画を通してもらいました。でもご存知の通り、秀和システムさんはパソコン関係の書籍を扱っている出版社さんで、これまで萌え系の本も少し出していたとはいえ、この企画はあまり理解されなかったようです。私はこの本を求めている人がたくさんいるという確信があったのですが、そこまでは伝わらなかったみたいですね。とりあえず競合する本が他にないから通ったと言った感じでしょうか。本のタイトルも当時は違いましたし、初版の部数も相当少なく抑えられてしまいました。
 とはいえ、企画が通ったからには出版は出来るという事になり、それから私の製作と執筆が始まりました。
 つまり、やりたいと思っていた自分がいて、やりたいと書いていたら、やって欲しいと思っている人がいて、その人が私を見つけたということです。私の持論に「発信効率の良いアンテナは受信効率の良いアンテナでもある。」ってのがあります。やりたい事があるなら、やりたいって発信し続けていれば、何かチャンスが訪れるんじゃないかと思いますよ。

2011-09-08 00:24:15


 学生時代はオタク集団の中で生きていた事もあり、自分がオタクであることが恥ずかしいと言う感覚が麻痺してましたね。まぁさすがに社内の自己紹介でフィギュアを作ってるとは言いませんでしたが、独身寮の歓迎会では50人くらい居る人たちの前でフィギュア好きである事を自信たっぷりに発表してドン引きされました。
 今でこそ海洋堂って名前が一般の人にも知れ渡るようになりましたが、当時はフィギュアを持ってるってのは、人形遊びをしているのと同じだと思っている人が多かったですよ。そういう風にネタにされたりもしました。でも、興味本位で私の部屋に入ってきた人たちは、製作している物の完成度の高さに驚いて帰っていきました。このような出来事から、普通の人が見ても感動できる作品を作って、この世界の誤解を解いて行きたいと強く思うようになりました。
 その後、労働組合の会報誌で自分のワンフェスでの活動を発表した事で私の活動は全社に知れ渡りました。まずはこの世界のことを知ってもらう事で少しでも身近に感じて欲しいと思ったし、なにより目立つことが嫌いじゃなかったので。
 そしてフィギュア好き=オタク=ダメ人間という印象を払拭する為に、会社の仕事も頑張りました。労働組合の役員もやりました。自分が頑張るのはフィギュアに関わる人たちのためでもあると思って。そのおかげで仕事のモチベーションを維持できたってのはありますね。
 でも、Webサイトの存在だけは言いませんでした。今ならあまり影響は無いのですが、当時はサイト内の掲示板とかで交流が始まっていたので、身内の人が興味本位で場違いな事を書き込まれるのがイヤだったんですよね。
 入社数年後からはフィギュアの事を聞いてくる人が少なくなりました。人の興味なんて一時的なものなんですね。それに新たに会社に入ってくる人が増えてきて、私がフィギュアで活動している人を知る割合も減ったってのもあると思いますが。最近では「まだフィギュアやってるの?」と聞かれることがありますが、その時は「やっている」としっかり答えています。

2011-09-07 13:26:37


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