上達、というものが果たしてあるものかどうかは怪しいけど、小説の格好をしたものを早く仕上げられるようになる人たちに共通しているのは知能の高さだ。例えばジュヴナイルを書く、ということになると、さっとジュヴナイルの格好にできる。エロティックな小説を書く、ということになると、さっとエロティックな小説の格好に出来る、純文学を書く、と言うと、さっと純文学の格好に出来る。それって一体どんな、という人は、ジョゼフ・ナイの「ダーティ・ハンズ」でもちら見してみるといいと思うよ。コンセプトだけ与えてプロのライターに起こさせるとああなるし、知能の高い奴が自分をライターとして使って書いても、ああなる。市場的にはそれでも立派に小説で通る。
これができるかどうかは読書量には殆ど関係がない。むしろ、読書量が多くてそうなっている人は、「格好」に対する批評性が前景化して、市場で捌けるような方向とは正反対に向かうことが多い。で、一、二冊読んだだけで呑み込んでさっくり格好を付けられちゃう学生には、ああやっぱり、という共通点がある——どれほどの苦難の就職戦線でも、素早くさくっと決めてくるの。だからまあ、書き続ける方にはあんまり行かない。
ところでそうした、格好になったもの、が、小説として評価できるかと言うとそれはまた別だ。単に、一番詰まらない意味で「格好になっている」だけということが非常に多い。むしろ何か訳のわからないものを形にしようとしている学生とか、あり得ないものとあり得ないものを結び付けて何か作ろうとしている学生の方が、応援のし甲斐はあった。読ませて貰ってる時の充実感が違うし、面談してても反応が違うから。で、そういう学生がある瞬間、すっと何かを乗り越えて書けるようになる瞬間を見るのは、そりゃもう、素晴らしい経験だった。出て来るものも明らかに違ってたよ。小説としての密度というか強度と言うか手応えと言うかがちゃんとある小説になるから。
ただし誤解して欲しくないのは、格好が付けられる、を全否定している訳ではないことだ。格好「も」付けられた方がいい。苦闘している学生というのは、大抵、そこができなくて苦しんでいるのも事実だしね。おそらく非常に多くの才能が、そこがクリアできなくて消えているとは思うよ。
これができるかどうかは読書量には殆ど関係がない。むしろ、読書量が多くてそうなっている人は、「格好」に対する批評性が前景化して、市場で捌けるような方向とは正反対に向かうことが多い。で、一、二冊読んだだけで呑み込んでさっくり格好を付けられちゃう学生には、ああやっぱり、という共通点がある——どれほどの苦難の就職戦線でも、素早くさくっと決めてくるの。だからまあ、書き続ける方にはあんまり行かない。
ところでそうした、格好になったもの、が、小説として評価できるかと言うとそれはまた別だ。単に、一番詰まらない意味で「格好になっている」だけということが非常に多い。むしろ何か訳のわからないものを形にしようとしている学生とか、あり得ないものとあり得ないものを結び付けて何か作ろうとしている学生の方が、応援のし甲斐はあった。読ませて貰ってる時の充実感が違うし、面談してても反応が違うから。で、そういう学生がある瞬間、すっと何かを乗り越えて書けるようになる瞬間を見るのは、そりゃもう、素晴らしい経験だった。出て来るものも明らかに違ってたよ。小説としての密度というか強度と言うか手応えと言うかがちゃんとある小説になるから。
ただし誤解して欲しくないのは、格好が付けられる、を全否定している訳ではないことだ。格好「も」付けられた方がいい。苦闘している学生というのは、大抵、そこができなくて苦しんでいるのも事実だしね。おそらく非常に多くの才能が、そこがクリアできなくて消えているとは思うよ。
2012-02-06 16:05:53
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