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- 小説などで、古典語もできないくせして、岩波文庫などの翻訳からギリシア文学やラテン文学を引用するのは、やはり恥ずかしいことでしょうか?
- 最近ふと小説を書いていて気が付いたのですが、いわゆる「論説文」などと呼ばれているような文章もあるいは、「小説のように書くこと」で何かしらの価値を帯びることはあるんでしょうか? 自分はこれまで、学者ではないから専門的な領域について何かを言うことはできない、とずっと考えてきました。ただ、もしかすると小説のように、たとえ元が何冊かの本を読んだくらいの断片的な知識であったとしても、それらを自分なりの仕方で「前後に転がして」いくことが何かしらの価値―それがどのような価値であるのかは判りませんが―を帯びることがあるのかしれない。もちろんこういった「推測の塊」は厳密な調査に基づいているものではないため、致命的な誤謬を含んでいることはままあるとは思いますし、分野にもよると思います。なのでやはり、基本的には語りえぬものについて、人は沈黙しなければならない、というスタンスが正しいような気もするのですが、佐藤先生はどうお考えになりますか?
- 今日だけで100万円使い切ってくださいと言われたらどのように使いますか?
- 昔に読んだ本を改めて読み返してみると、そこここに線引きや書き込みがしている割には、まるで内容を覚えていない自分に愕然とすることがあります。大事な本については重要な箇所を拾い出して、それについて自分なりに考えたことをノートに展開させておいた方が良いのかもしれない、とも思うのですが、人によっては読書ノートを完全に「徒労」だと言い切っている場合もあって、どうも読み方が定まってこない感じです。もし佐藤先生的「学び方のノウハウ」のようなものがございましたら、ご教示下さるとありがたいです。
- 好きな匂い、つい嗅いでしまう臭いはどんなニオイですか?
- 読んでおきたい本は山のようにあっても、時間が有限であるかぎりできるだけ、読むべきものだけを取って、切り捨てていいものは積極的に切り捨てていかなければなりません。これは、小説を書く資料についても言えることだと思うのですが、佐藤先生は何を基準に読むべきもの、読まなくてもいいものを選定されていますか?
- キモヲタに限らず、底の浅い間の抜けた発言をして、こちらをウンザリさせてくる連中はこの世に五万とおりますが、身内を含めて、そうしたお馬鹿さんたちともまぁまぁ、それなりに付き合っていくコツがもしあれば教えて下さい。
- 文学を学びたい(楽しみたい)のですが、世界文学全集、のようなものを一通り読んでいく以外にもし良いメソッドがございましたら、是非ご教示下さい。
- 知的財産は著作権法や特許法などによって国家に強力に保護されています。しかし、特許の保護が行きすぎるとイノベーションが却って阻害されるという研究や、デジタル化時代において現行の著作権法は時代遅れであるという意見もあります。現在の知的財産に関する考え方や法制度に対して、どのような意見をお持ちですか?
- 努力は報われると信じる方ですか?
- あなたがこの世で一番無駄なものとは何ですか? この質問という回答でもかまいません。
- 本物の芸術に触れなければ感性は磨かれないというようなことをよく聞きますが どうも芸術は退屈なものにしか見えません これは要するに才能がないということでしょうか?
- 「上達、というものが果たしてあるものかどうかは怪しい」というのは、文字通り、文章は書いて上達する類のスキルではない、ということでしょうか。量を書くことで、論理力や修飾の腕が磨かれていくものだとばかり考えていたのですが。
- 既存の作品を分析して手持ちの武器を増やしていくのが好きです。武器だけあっても扱いが下手糞では本末転倒なので、ひとつひとつの武器に習熟するための訓練も日々行ってはいるのですが、ところで、そういった武器の数々を実際のところ書き手はどの程度自覚的に扱っているものなんでしょうか? なんとなく自分の「武器リスト」を眺めていたら、「普通、ここまでややこしく考えて書くもんかな?」と疑問に思ったもので。
- 学生を教えていらしたご経験から、やはりモノを書く力は本読みのほうが高く、上達も早い傾向にありましたか? また、上達の早い学生の共通点などはございましたか?
- ベーシックインカムについてどうお考えですか
- あなたに最も影響を与えた人物はどなたですか?
- カレーをつくる時のこだわりがあれば教えてください。
- 作品によってメインプロットとサブプロットの関係があるひとつの主題を変奏し合うこともあれば、まったく別々の主題を混在させていることもあるように思います。前者は全体として統一感があり、後者はしばしば結局どういうお話なのかもうひとつ掴めないこともありますが、かといって後者が悪いかといえば、それはそれでけっこう面白い作品になっていることも多い気がします。複数あるプロット同士の絡み合いについても、うまく交差して連動し合うものもあれば、最後まで一度も関係し合うことなく終わってしまうものもあります。全体としての「統一感」を目指す場合は目指すべき完成形のイメージも掴み易いのですが、あまり互いに関係のないいくつかの主題を扱いたいとき、「三題噺」のようにうまくその共通点を抽出して強引にでも統一感を出すべきなのか、それとも敢えて異物を同じ入れ物の中に混在させてしまうべきなのかは、実作においてけっこう悩みどころになったりします。それぞれの「良い所・悪い所」が自分でもうまく把握できていないせいでもあるのですが、果たしてメインプロットとサブプロットの関係に「倫理」のようなものはあるんでしょうか?
- 小説の下準備についてですが、自分の場合あまり明確に「下準備の段階」と「執筆の段階」が分かれておらず、下準備の密度を上げていくことが執筆時のおおまかな記述を決めてしまうような書き方をしています。一発書きを目指すくらいの密度で、それも冒頭から終わりまで順序よく書き出すのではなく、あっちを書きこっちを書き、している内に少しずつ全体のアタリが定まっていくような形です。作家さんによってはまずプロットを組み立てる方が多いみたいですが、そもそもいくらプロットを考えたところで、その上に乗せる材料は何か、材料はプロットに、そして記述にどのような影響を与えるのか、与えるべきなのか、を、ある程度は事前にシミュレートしておかないと、いざ書き出したときに行き詰ることになるか、または必死になって考えたところの大部分をあとあと無駄にしてしまうのは目に見えています。すると、かなり細かいところまであらかじめ準備しておかなくてはならず、結果的に高密度な下準備が出来上がり、後は少し記述を足したり引いたりするだけで小説が一本出来上がる、というところまで詰めざるを得なくなってきます。「下準備」の段階で「執筆」を織り交ぜて、「行きつ戻りつ」のストレスを限界まで軽減しようという試みなのですが、こういうやり方は普通なんでしょうか?
- 小説執筆前の下準備はどのように、また、どのくらいの密度でされていますか?
- あなたは恥を知っていますか? あなたにとって恥とはなんでしょうか?
- その、「読んでないと恥ずかしい」ものを先に潰しておきたいと考えたのですが―で、そういうものは大概それ相応の「強度」があるからこそ義務鑑賞として扱われているはずなので、字を読んだり書いたりする人間にはたとえ「合う合わない」の多少はあっても、それなりに楽しい本の筈だ、と―とりあえず、知ってる名前を端から潰しておくことだけ考えときゃいいんでしょうか。実際、一口に「義務鑑賞」といっても、人によって挙げる本は確かに異なってくるものではありますが―それにしても、不安ですね。「この道、もしかして間違ってんじゃないの?」とか思うと。
- 息長くモノを書いていくためにも、短い人生の限られた資源はより強度の高い、最大公約数的な「教養」にできるだけ投資していきたいと考えています。とはいえ、そうした「教養」の序列化された全体像が見えない以上、独学では手探りに、好きな作家から別の作家へと、一歩一歩足元を確かめながら芋づる式に遡っていく以外に方法がありません。ドストエフスキーやトルストイといった誰だって名前だけは知っているような作家でも、実際のところ「教養」と呼ばれるものの全体像の中でどの程度の重みづけがなされているものなのかは、少なくとも初学者にはあまり判断できないところだと思います。事実、佐藤亜紀先生の存在を知らなければ、フィールディングやヴォルテールやディドロやボーマルシェといった作家の本にも、辿り着くまでにもっと時間がかかっていたか、あるいは最悪、手に取ることもないまま死んでいたかもしれません。今日もふと何となく「ハンニバル」の小説をパラパラ読み返していると「スエトニウスやギボン」といった名前に言及されている箇所を見つけて、あのトマス・ハリスが言及するくらいなら読んでおこうかと―幾分、そこで登場する「バーニー」の人物設定に共感を覚えながら―早速ネットで注文してみたところなのですが、こういう「芋づる式」以外にもっと効率よく自分なりの教養体系を構築していく術はないものでしょうか?
- 「100枚を書く力」というのは、たとえば論考やショートショートのようなものを日々、5枚程度書き続けることを通してはたどり着けない境地でしょうか? 小説を書く力と論考を書く力はまた、別の筋力を使うものかもしれませんが、いずれにせよ、ディテールのトレーニングやちょっとした思索に5枚くらいの短い文章を量産するよりは、ひとつの主題なり作品なりを100枚、200枚、限界まで掘り下げて書き続ける訓練をすべきなのでしょうか?
- 小説の執筆は自分のことではなく、架空の人物のことを書かなければならないので、思うように筆が進まないことが多いです。他人についてのあれこれを、自分の頭から捻り出すコツのようなものはあるんでしょうか?
- 29歳でデビューされる以前から小説を応募したりはされてましたか? 村上春樹も29歳と比較的遅めのデビューをしていますが、それまでは小説を書いたことが一度もなく、書こうと思ったこともなかったそうです。佐藤先生は確か小学生くらいの頃から「学者で作家」を志望されていたと記憶していますので、自分が納得できる水準の基礎体力が身に付くまでは発表を控えていた、ということでしょうか?
- 村上春樹が海外で受けている理由とその他の日本の作家があまり受けない理由について考察していただけるでしょうか?
- 主に政治経済や社会学など、学術系の専門書で読みたい本があったとき、ちゃんと基礎をやってきていない今の自分に理解できるかどうかが不安で、どうも読むのを先送りにしてしまうところがあります。といって、それぞれの学問分野を一からしっかり勉強なんてしてたら、自分が関心を引かれた当の専門書にいつ辿り着けるかもわかりません。そのへんは、あまり気にせずガリガリ読んでいきゃいいんでしょうか?
- 自分を含めた身の回りの野郎どもをみてきた印象論で、特にエビデンスのない話ではあるんですが、行動としてがっつかなくなった連中が取り立てて女性に対して粗暴である、ということはあまりない気がします。むしろ全体的なアテンド能力の向上が―というよりも、変に「がっつかなくなる」ことが男女の交流をより自然に促している―恋愛成就の希少性を薄めてしまっている結果じゃないか、と。とはいえ、たとえコミュニケーション不全であっても家庭を持ってふんぞり返っていられた時代は終わり、所有の論理で非道な妄想にふける非モテたちが自室へと封じ込められることでますます先鋭化した、ということはあるかもしれません。コミュニケーション・スキルによる格差が広がって「中流」が消失し、「上流」がリア充に退屈して趣味や自分磨きに入れ揚げる傍ら、ネットでのみやたらと声のデカい「下流」どもが好きなだけ妄言を垂れ流す、という構図かなと。そして現今、流行りの「草食化」は主に、この「上流」についてこそ指摘されている現象なんじゃないか、という印象です。非モテはまあ、それ以前っつー感じですんで。で、先生にお聞きしてみたのは、この「草食化」が僕の周りの女友達にはすこぶる評判が悪いから、なんですね。大事にアテンドされながら、上手に「がっつかれたい」という結構、わがままな気もする女性たちの願望もやっぱり「文化」に依拠したものなんでしょうか?
- ここ10年、20年で急速に進行したらしい野郎たちの草食化現象を、女性として、また、作家としての立場から、どのようにご覧になっていますか? 文化相対主義の成れの果てとして、本能のひとつであるはずの性愛でさえもが「なければないで別にいい」趣味の問題に成り下がっておりますが。や、まあ、僕のその一人で、「そこまで面白いもんでもないよね」っつー感じなんですが。
- 古い小説などを読んでいますと、その国の歴史や文化・慣習、または国境を越えてその時代に支配的だったイデオロギーや、ひいては諸芸術作品との間テクスト的関係性に至るまで、その作品を成立させている背景についての知識がなければもうひとつ、何が描かれているのか判らないことがあります。とはいえ、そうした背景の構成要素をひとつひとつ潰していくとキリがなくなるので、結局は、佐藤先生が以前のホームページでも書いていらっしゃるように、「ナポレホンが誰かを知らなくても、その名前がフィクションとしてどのような機能を果たしているか」分析しながら読む、ということで済ますことになります。「サウスパーク」なんかでも、話によっては何がどういうことになっているのかさっぱり判らないことも多々ある訳ですが、それも「どうせ、こいつらのことだから大体こんなことをやってるんだろう」という推測を交えながら観れば、それなりに楽しめてしまうから不思議です。とはいえ、どうせならより深く味わえたほうがいいに決まっているので、せめてその作品の舞台となっている国の歴史くらいは、サラッと勉強しておいた方がいいのかな、という気もします。フィクションを楽しむ上で、これくらいは押さえておいたほうがいいだろう、という「下地のミニマム」というのはあるんでしょうか?
- 大学入試にまつわる思い出を聞かせてください
- やたら本を読んでいる割にはもうひとつアウトプットが冴えない人、というのがいる一方で、あまりコンスタントに本を読む習慣がなくとも、なかなか鋭い知性の閃きを感じさせる人、というのが他方にはいますよね。2chを作った西村博之なんかはまさに後者に属するタイプだと僕は思うのですが、生まれ持った才能以外に、前者と後者を分ける要因がもしあるとすれば、それは何によるとお考えになりますか? また、自分がモノを書いているときなどによく「こんなことを書いて、たとえば佐藤亜紀先生のような方に笑われはしないだろうか?」と、審級として私淑させて頂いているような方が何人もいます。そういった、リソースのレベルでは絶対に勝てないような先人たちを、それでも少しくらいは感心させたり、興味を持ってもらえたりする程度にはよく、練り込まれたモノを書いていくために、日頃の心がけや努力の仕方などで、ご助言など頂けましたら有り難いです。
- 新番組の季節ですが楽しみにしている番組はありますか。
- 勉強が嫌いな子供に勉強の大切さを教えるにはどうしたらよいでしょうか?
- 20代の男ですが年金は払ったほうが良いでしょうか
- 小説の分析について質問した者ですが、ぐぐたすは佐藤先生がツイッターから移られた当初からフォローさせて頂いておりました。その時は佐藤先生にもおそらく限定公開の記事を読ませて頂いていたのですが、一度メールアドレスを変えるために、Gメールと連動しているぐぐたすのサービスまでリセットするのを余儀なくされてしまい、別のアカウントを取って再フォローさせて頂いてからは、自分がROMのせいもありまして、限定公開からはハブになってしまいました…、こちらから「限定公開サークルに入れてください」というのも気が引けるので、そのままになっています。ただ、ぐぐたすやツイッターですと、お話の流れを断ち切ってお聞きしなければならないところを、インタビューズですと、ご面倒をお掛けしてはおりますが、自分の好き勝手なことをお聞きできるので、重宝させて頂いております。ちなみに自分のアカウントはこれhttp://p.tl/sJlAになります。もしご迷惑でなければ、佐藤先生の記事を読ませて頂けると有り難いです。よろしくお願い致します。
- 小説の分析についてですが、量をこなすだけだと、いいじゃん、使えるじゃん、というディテールや展開の動きに関して、執筆する際の再現性が落ちませんか? どうも自分で書くとしょっぱいものになりがちなので、読むときにはいちいち何がどう動き、何がどうして自分を感心させているのかをいちいち言語化しておかなければ不安です。そんなの考えなくて済むくらい量を読め、ってことでしょうか。
- 小説を読むとき、自分なりのインデックスを作るために、個々の要素や全体のプロットなどを分類してストックするようにしています。おそらくプロとして活躍されている作家さんは皆さん似たような作業をされていることと思うのですが、佐藤先生の場合、どのくらい厳密にされているものでしょうか? 私は最近、「命名」と「分類」があまりにざっくりしすぎていたせいで、執筆への応用が利きにくいことを知りまして、書くときの再現性を少しでも上げるために、小説はいちいち細かくメモを取りながら読むようになりました。こういういじましい努力を要するのは能率が悪いからなのか、そういうものなのか知りたいです。
- 便乗質問です。外国語学習歴を教えていただけないでしょうか。どの言語をいつごろ学んだとか、使いものになるまでどれくらいかかったとか。あとおすすめの外国語学習法などあればぜひ。
- 洋書を読むために、ちまちまと英語を勉強しているのですが、時折どのくらいの見返りが期待できるものか不安になることがあります。いろいろと調べてみると、読みたいジャンルの本は結構しっかりした訳書が出ていることも多く、翻訳されているものを読むだけでも既に膨大な蓄積がありますので、今後も日本語の本は引き続き読んでいくことになるだろうことを考えると、生涯のうち英語で身に付ける情報の総量は、日本語に比べておそらく限りなく少ない。それでも英語なら、入手できる情報そのものの規模が他の言語よりも圧倒的に多いでしょうから、それほどコスパを気にかけることなく学んでいけるのですが、この上ドイツ語やフランス語に手を出す気力があるかというと、難しい気がします。それよりは翻訳でも、読むべきだとされているような本を一冊でも多く読んでいったほうが有益なのではないかと。もちろんジャンルによっては佐藤先生のように専門で掘り下げていくのがベストなのは当たり前ですが、実際のところ、作家志望者はどれくらい、外国語について勤勉であるべきでしょうか?
- 小説が完成させて、執筆を終わらせる時とは、どのような瞬間でしょうか? 書き続けようと思えば永久に書き続けることができるような気もするので、そもそも「完成」という概念がわかりません。なんとなく、「もうこれ以上この作品に付き合うのはしんどい」というところでやめるようにしていますが、佐藤先生はいかがですか?
- 『空気』の奴隷から抜け出すにはどうすればいいと思いますか
- 直近の質問者ではないのですが、「教養を含めた文化資本は、親や周囲の環境から『相続』するものだ」、という殆ど自明とさえ言ってもいい事実が、どれだけ言ってもうちの両親には理解できません。近頃はいい加減、そんなことで親を責める時期も過ぎ、出来る限り彼らとは距離を置くことで親子間の葛藤を回避しているところですが(でなければいずれ殺してしまうかもしれない)、そんな「教養」のない親たちを愛してやる術はあるんでしょうか? つまり、致命的な「格差」の存在を受け入れつつ、その「格差」の存在さえ認めたがらない、いや、本気でそんなものはないとさえ思い込める救い難い愚鈍を許す術というものは?
- 「教養」とは、知識人ぶって話すための雑学に過ぎないのでしょうか。あるいは、昨年話題になった本の著者が言うように、資本主義社会を生き残るための強力な武器となりえるものなのでしょうか。tamanoirさんにとっての「教養(≠常識、良識)」が存在するなら、その定義とそれをどうやって身につけたかを教えてください。
- 新刊が出た時に必ず買う漫画ってありますか?
- 書くトレーニングと、読書とを、どれくらいの時間配分にするべきかで悩んでいます。書くのも読むのも好きなので、どちらも暇があれば一日中そればかりしていたいくらいなのですが、貧乏暇無しなので、ある程度は効率を考えていかなければなりません。読むのを怠れば底は浅くなり、書くのを怠ればいつまで経っても底は見えてこない、ということで、今は読み書きに当てられる時間を丁度、半々くらいにしているところです。佐藤先生の経験上、物書きとしてやっていく上で、どちらに比重を置くのが良いと考えられますか?
- 以前、第一次世界大戦を知る上で魔の山がいいとおっしゃっていましたが、同じようにヨーロッパ史を知る上で、佐藤先生おすすめの小説があればぜひ教えていただけないでしょうか。
- 「思ったもの以上」という感覚は、思想・心情のようなものを日頃からノートに、他人には決して見せない前提で書き綴っていく中で、しばしば遭遇することがあります。クラッシュ&ビルドを繰り返すうちに思いがけない地平が開かれるあの感覚は、確かに「書き手を大きく越えたものだ」という気がします。ただ、より実感に即していいますと、あの感覚は「理想を越える快感」ではない、「思ったもの以上」というよりも、「思ってたこととは違うけど、これはこれでアリかも」という、「理想から逸れる解放感」に近いものだったりします。もし、あの解放感こそが書き手にとって正しい道筋を示す灯火のようなものだとすれば、レトリックなど文彩のテクニックも含めて、書くこととは、「思い通り、理想どおり」への「到達」を目指すものではなく、むしろその過程で理想からガンガン外れていく歩みの自由さを楽しむことにその本質がある…、だとすれば、それは「自分」というよりも、自分を「他者」として俯瞰し、その「他者」が自分の理想や趣味嗜好とはあまり関係のない文章をつらつら書いているのを「眺めて愉しむ」、つまり殆ど「他人の作品を鑑賞している」感覚に近い。そういう認識でいいんでしょうか?
- 最近みた映画で面白かったのはなんですか?
- 小説だけでなく、自分の考えていることなどに、厳しく自問自答を繰り返しながら書く訓練をしています。しかし、思い通りに完成させるには相当しんどい試行錯誤に耐えなければなりません。書き慣れてくれば、こうしたプロセスを経る速度が上がり、負担も軽くなってくるものなんでしょうか?
- あなたにとって、今年最大のニュースを教えてください。
- google+の公開を、おそらくは痛い人たちに絡まれるのを警戒して、制限していらっしゃいますが、部外者がロム専門でも佐藤先生の記事を読ませて頂くことはできませんでしょうか?
- 2011年はあなたにとってどんな年でしたか?
- お気に入りの煮込み料理(できれば欧州)、可能であればそのレシピを教えてください。
- ドン・デリーロはどのように評価されていますか?
- 政治を学んでみようと考えています。とはいえ、いきなり岩波文庫の白背を片っ端から読んだところであまり理解できそうもありませんし、全体の流れを知らないと、個々のフレームに対する妥当な評価を下すのも難しそうなので、まずは思想史みたいなところから入ろうと思っています。そこで思想史のおおまかな流れを理解して、それから個々の気になった(現実的に全部は無理なので)思想家の著作を順々に読んでいこう、ということなのですが、スタンダードな学習のステップとしてこれは正しいんでしょうか?
- 2011年、あなたにとっての最大のヒット商品は何ですか?
- カトリックとプロテスタントの違いは何でしょうか。 また、佐藤先生がカトリックを選択されたのは何故ですか。
- 今年やり残したこととかありますか?
- リソースのお話なのですが、これは技術的な問題についても同じでしょうか? たとえば他人が「映画を撮りたい」っていうのなら、ある程度の映画史は押さえてから撮ろうぜ、という余計なことをどうしても言いたくなってしまう性分なので、「ブレードランナーみたいなのを撮りたい」とか言ってる奴が、フリッツ・ラングの「メトロポリス」も知らない、他のフィルム・ノワールもろくに一本たりとも観た事がない、っていうんじゃ「駄作決定~」とか思ってしまうのですが。「ブレードランナー」一本だけを観て、傑作ができる可能性というのはあるんでしょうか?
- はじめて買ったCDはなんですか?
- 小説を発表してから、もしリソースとして持っていればかなり使えたかもしれない他所の作品なり、情報なりに触れて、「ああ、あの小説を書く前に知っていれば!」と後悔するのは嫌なので、延々と勉強ばかりして、いつまでも小説の完成を先送りしてしまいがちです。「より完璧なものを」という欲望との、有効な折り合いの付け方はあるのでしょうか?
- インターネットとの出会いを教えてください。
- すべてがクソに見えるサウスパークのスタン状態なんですが、酒に頼らずにあれを克服する方法はあるんでしょうか。
- 現代の職業作家はなぜ弟子を取らないのでしょうか? また、もしtamanoirさんに弟子入りしたいという職業作家志望者があらわれたらどのように返答しますか?
- もうすぐクリスマスですね、子供の頃のクリスマスの思い出ってありますか?
- 「文学」や「物語」の人類にとっての役目・目的とは一体なんなのでしょうか? 純粋に感情を刺激する「暇つぶし」のためだけのものだとすれば、そこにどれだけ多様な「刺激物」をより濃く、より効果的に配置できるか、またその効果がそれだけ長続きするのかでその価値が決まると思うのですが、実際はその「刺激」の仕方もモノによってかなり異なっています。宗教が提示する「物語」と、メロドラマが提示する「物語」は、新たに「信仰」を供給するか、または既存の「信仰」を強化するか、という点では異なるものの、本質は割と近いような気がします。他方で、「文学」はむしろそうした「物語」を片っ端から解体したり揺さぶったりするところにその面白味があるような気もします。「文学」がなくては(私は)生きていけないのですが、宗教がなくてもとりあえず生きることはできそうです(実際、信仰はありません)。しかし、「文学」と「宗教」はそれでも、どこかで隣り合った領域に属しているような気もします。それぞれの価値とか目的とか役目とか関係性みたいなものを言葉で定義することは可能なのでしょうか?
- 中二病についてどう思いますか
- ゴチャゴチャとした観念的省察も演劇や映画などであれば、ただ黙って劇に起こせ、観てわかるように示せ、で済むのですが、小説の場合はそのような葛藤が必ずしも劇的な形では表現されず、延々と登場人物のモノローグなどによって語られることも多いように思います。どこまでを劇に書き起こし、どこまでを直接書き込んでしまうべきか、最終的には好みの問題になってくるのかもしれませんが、審美的な判断から言えばどちらのほうが正しいのでしょうか? あるいは正しい、正しくないの問題ではないのでしょうか?
- ダースベイダーやマグニートーのような、善玉が復讐鬼と化して悪玉に転落し、イデオロギッシュで狂信的なカリスマになるパターンのお話に強く魅かれるのですが、過去に遡ると他にどういった作品があるんでしょうか。「型」としては大昔からある「宗教創始」話と「復讐」話の綯交ぜかとも思ったのですが、ポイントはむしろ「善玉から悪玉への転落」にあるので、やっぱり「失楽園」あたりが原初の作品になるのかなぁ、とか。あの手のものの代表作をもっと知りたいです。
- 言葉狩りについてどう思いますか
- ライトノベルは読んだことがありますか?またどう思いますか?
- 小説執筆に際して、どうしても「自分にとって都合のいい」「気持ちのいい」お話ばかりを書いてしまい、多声性に配慮するのが苦痛で仕方ありません。説教、ならまだしも、それが世の中の平均値からズレた自分の感受性を正当化する屁理屈みたいになってしまうことが多く、小説というよりはその辺にいくらでも転がってる日記かブログのような体裁になってしまいがちです。他者の声を積極的に取り入れつつ、精神の健康をも保つ良い方法などがございましたら、是非お伺いしたいのですが…。
- ジェルジュが顧問官から与えられた小瓶はどのような形なのでしょうか。実物のイメージに近い、または参考となるような画像等を拝見することができる場所があればアドバイスしていただけないでしょうか。
- 佐藤先生にとってのベスト文学の中で、日本語の翻訳も素晴らしいと評価されている作品があればぜひ教えてください。
- よく「好きな作家の名文を書き写せ」といったような、いわゆる「写経」のススメを謳った文章作法本を見かけるのですが、先生は効果的だと思われますか?
- トップの画像は何ですか。
- 使っているパソコンのメーカーを教えてください。また執筆に便利なツールがあれば教えてください。
- 自分と他人、どちらかというとどちらに興味がありますか?
- ノーベル文学賞についてどのように評価されていますか?選考の妥当性や文学史における存在意義などについて、先生のご見解をお聞かせ下さい。
- 現代美術では作品を評価してもらうために、過去の作品を幾重にも引用して「歴史を串刺し」にしなければならない、という話を村上隆がしておりますが、文学にもこういう理論的な評価軸はあるんでしょうか?
- サウスパークがマジに最高なんですが、先生のお好きなエピソードを3つ挙げるとすれば何になりますか?
- 先生でも、「どうも本を読む気になれない」という日はありますか?
- 小説を書く語彙力を身に付けるために、いじましく辞典類をめくって、ピンときた言葉をメモッたり実際に使ってみたりするのですが、こういう努力は有効でしょうか?
- スティーヴン・キングという作家をどのように評価されますか? 彼は歴史に残る作家だと思われますか?
- 漫画絵の質問ですが、単純に「絵」としてです。「漫画」であることから切り離しても、「絵」単体で鑑賞するに堪えうるだろうという漫画家さんはいらっしゃいますか?
- 佐藤先生の中で、「絵だけ取り上げてみても鑑賞に耐えうるだろう」という漫画家さんはいらっしゃいますか?
- しばしば「不道徳」だとか「反社会的」だとかいう理由で腐される小説なり映画なりがありますが、ああいう評価はいまいち納得できません。別に芸術作品は社会を良くするために造られるわけではないだろう、と思うのですが、先生はどうお考えになられますか?
- 年間の読書数が50~60冊くらいなのですが、これは作家を志す人間としては少なすぎるでしょうか?
- 漫画家の冨樫義博先生と面識がおありなのでしょうか?「幽遊白書」に初代霊界探偵の真田黒子という人物が出てくるのですが、佐藤先生ご夫妻をモデルにしたとしか思えません。旦那さんの旧姓が佐藤、占い百発百中、子供が双子、髪型etc、昔慶応大学のシンポジウム(二十世紀の文学?だったかな)で先生をお見かけした時に誰かに似ているなと思ったのですが、家帰って思い出したのが真田黒子でした。確か髪を後ろで束ねておられて、お召し物が上下黒だったからだと思います。新潟には本当に田中角栄の銅像があるのですか、とかいうアホな質問にもご丁寧に答えて頂いた記憶があります。あとハンター×ハンターをどう思われますか?
- ここ最近で一番おいしかった食べ物はなんですか?宜しかったら簡単な調理法も含めて教えてください。
- ベーシック・インカムについて、見解などございましたらお聞きしたいです。
- 「ミノタウロス」を読んだ時に僕は、こんな小説ぜったい書けねえよ……と、しばらく落ち込んだのですが、大蟻食様は読後、そのように打ちのめされた作品ってありますか?
- 日本の電子書籍市場は早晩Amazonに支配されると思われますか?
- この社会において、あなたが許せないこと(納得できないこと)を教えてください。
- 執筆中、キャラクターが暴走してしまうことはありますか? 僕の場合時々起こるのですが、当初のプロットから逸脱しそうであっても、そういった「勢い」は取り入れながら書いたほうがいいのでしょうか?
- 今の日本の文学賞で信頼できるものはありますでしょうか?
- 自分でも小説を書いてみることで、 よりよく読めるようになるということはありますか?
- ジョン・アーヴィングという作家をどのように評価されますか?
- 執筆のコツについて詳しくご回答頂きありがとうございます。3)についてははっきり理解できました。これまでは未踏の領域にできるだけ近づかない書き方をしてきましたので、これからは敢えてがんがん踏み込み、そして書き切る力を身に付けていきたいと思います。ありがとうございます。 1)と2)につきまして、改めて詳しくご説明させて下さい。私の書き方ですと、どれだけ念入りに下準備をしても、実際に執筆をする際に記述がより具体的な情報や背景を求めてくる為、「執筆をしながら下準備をする」という作業がどうしても必要になってきます。そこで必要となる要素は人物造形、人物同士の関係性、世界観やシーンの舞台設定、ちょっとした挿話や思想、テーマそのものなど様々ですが、一度そうした連鎖に踏み込みますと、新たにひねり出した情報の断片が更に新たな情報を求めてくることもあり、キリがなくなったりもします。「ここで何かひとつ、人物描写が要る気がする。何かないか? よし、こんなことさせてみよう、いかにも、そんなことをしそうな輩ではないか、でも、よくよく考えてみるとなんでこいつはこんなことしちゃうんだろう? 昔からそういう奴なのか? だとしたら、その影響がもっと他の要素にも波及していかないか? 大体こいつはあいつと何をそんなにいがみ合ってるんだろう? 無視しときゃいいじゃないか、そんなもの…、でもここはいがみ合っていてくれたほうがずっと劇らしくなる。よし、ここはこういうことにしておこう、そうすればここでこのように振舞うことにもそれなりの説明がつく、でも、なんでそんなにエスカレートしちゃうんだろう…? なんか不自然だ、理由が欲しい、こうしてみたらどうだろう? でもこっちをこうするとあっちもああしなきゃいけないから…、あ、そうすると今度はこっちも不自然に…」、こうした断片を適宜執筆に拾い上げていくと、全体への影響も次第に大きくなってくるため、往々にはじめからリライトしなくてはならなかったりします。かなり効率の悪い書き方かも知れないのですが、しかし執筆は記述のリズムを非常に大切にしているためか、はたまたひとつひとつについて細かく具体的に書かれたもの、少なくともそのような背後の作り込みを想像させてくれるものが好きな為か、下準備の段階では予定していなかった要素がどうしても出てきてしまいます。また、そこで思いがけず出てきた要素が―少なくともひねり出した瞬間は―けっこう良く見えることも多いため、思わず嬉々として―とはいえこれまでは、専門的な知識や体力・技術を要する領域にはあまり踏み込まないよう警戒しつつ―掘り下げてしまう。こうした下準備的執筆法―あるいは執筆的下準備―を、もうこれ以上はしんどい、やめたい、というところまでゴチャゴチャと繰り返すのが基本になっているのですが、大学ノートにそのような下準備を何十冊もゴチャゴチャと書きこんだ挙句にそこで満足、あるいは作品そのものが嫌になる、ということもままあり、往生しています。下準備の仕方が悪いのか、変に「楽しみすぎている」のか…、もっと効率のいい書き方はないものでしょうか?
- インタビューズに飽きちゃったという人も増えてきたように感じますが、運営サイドに向けて、なんらかの改善要請や提案はありますか?
- 小説を書いているとき、書きながら曖昧な部分や疑問点などが次々と湧いてきて、執筆というよりは「書きながら下準備している」ような形になります。それでまた初めから書き直すのですが、次第にそれも「下準備化」して、またはじめから書き直す…という繰り返しで、徐々に完成へと近づけていく書き方なので、すごく時間がかかります。こういう書き方は普通なのでしょうか? また、下準備を繰り返すうちに今の実力では書ききれない領域に踏み込んでしまったとき、そこは周到に回避するべきなのでしょうか。それとも妥協してでも強引に形にすべきでしょうか。執筆のコツをご教示下されば幸いです。
- 仕事の中で一番快感を感じる作業はどの辺ですか?
- 自身の活字の興味はつまるところ何に起因してると思われますか?
- 石原というのは政治家としても一人の人間としてもおよそ尊敬に値しない人物ですが、作家としてはどのようにご覧になられますか?
- Twitterと比べて、Google+どうですか?
- 先生はご自身の作品に、愛着心、執着心をお持ちですか?
- 「ただ一人の真の語り手」が必ず存在するのではないか、と疑いながら小説を読んでしまう者です。 小説において、語り手が複数存在するという状況は成立するのでしょうか?
- 大学でご指導されていた経験からいって、全くのヘボな人が、ある程度モノを書く力を身に付けるまでに、どれくらいの期間を要するものですか? また、日記やレビューを書くなど、文章上達に有効なメソッドや秘訣などありましたら是非お伺いしたいです。
- ラース・フォン・トリアーの「アンチクライスト」という映画は見られましたか?どう思われましたか?
- 「認めたくないけれど、認めざるを得ない」小説に限らずそういったもの、人、ことなどについて、何か御座いましたらお聞かせください。
- 先生の小説、おもしろいです、すきです。と言われたら、嬉しく思いますか?多少のコメントがつかないと響きませんか?
- 翻訳ものばかり読んでいると「文章が変になる」とよく言われます。先生をはじめ、文章家として活躍されているプロフェッショナルはむしろ、翻訳や外国語の本を大量に読みこなしてきた方が多いみたいですし、あまり関係ない気がするのですが、僕は日本の小説はほとんど読まずに海外のものばかり読んでいるため(そして中には確かに変な日本語になっている翻訳ものも沢山あるため)そう言われるとちょっと不安になります。国内の本もできるだけ意識して読むべきでしょうか?
- 滅多矢鱈に他人を侮蔑してはすぐに人の優位に立とうとする見苦しい連中に噛み付かれて辛いです。対話を試みようにも、どこぞの原生林で捕まえてきた得体の知れない怪鳥みたいにギャアギャア喚き散らされたら、こちらもどうしていいものやらわかりません。些細なことですぐカッとなる感情の導火線が短い人たちは、一体何が不満であんなにキレまくるのでしょう。獲物の生き血をすするみたいに、常に誰かをこき下ろしていなければ不安でいてもたってもいられないくらい、自分に自信がないのでしょうか? 何かいい気分転換の方法があったら御教示下さい。
- 海外の(非日本語の)ウェブサイトでお気に入りに入れているものがあれば教えてください。
- 幽霊っていると思いますか?見たことはありますか?もし体験談があれば教えて下さい。
- 「おそらくソルジェニーツィンやフランクルからも、作品から受容者を想像するのとは逆さまに、形は違いこそすれ何らかの美的なものへの渇望に生かされるあり方はうかがうことができる。最も、そうした渇望さえ最後の瞬間には消え失せると、例えばシャラーモフは語るのだけれど。しかしそう語るシャラーモフの文章の異様な美しさと言うのは、一体何だろうね」と以前お書きになっておられましたが、私は未だにこの発言に引き摺られているにもかかわらず、思考が具体的な形になりません。何かとっかかりを頂けないでしょうか。
- 今までに一番楽しかったことはなんですか?
- 御著作をきっかけにオペラに興味を持ち、数年前からCDや、DVDや舞台公演を見るようになりました。しかし、自分が良い・良くないと感じるのが曲自体なのか、指揮者、オーケストラ、歌手、たまたまその演奏、または舞台美術なのか、あやふやなのが正直な所です。ナマで見られたものは、お恥ずかしながら、大感激でインパクトに振り回されてしまっているきらいもあります。経験を増やすしかないのでしょうが、こういった要素を適切に評価できるようにするための鑑賞の留意点などがあれば、御教示願えますでしょうか。
- 物語は人を救いますか?
- 世界中に映画や本、漫画アニメ演劇など物語がたくさんあふれていますが、物語にはこの世界でどのような意味、役割を持つと思いますか?
- 村上春樹についてお聞きしたものです。ご回答ありがとうございました。今回のお返事を受けてもうひとつだけお聞きしたく思います。村上春樹のエンターテインメント的な構築性、という話は確かに作品によって感じられるものがありました。特に短編小説などがそうでした。しかし、大蟻食様はその点において取り立てて村上春樹を評価しているわけではないと仰いました。そこで是非お聞きしたいのですが、大蟻食様がそうした「構築性」において(お返事から推測するに、「造形性」はこれとは異なる、エンタメよりは「芸事としての凄み」、といったものに近くなるようですが)心から拍手を送りたい小説家はおられますでしょうか。大蟻食様の絶賛されている作家といいますと、どちらかといえば「造形性」で鑑賞すべき名前が多いように見受けられます。「構築性」の側で大蟻食様が高く評価されている作家がいらっしゃるようでしたら、是非教えて下さい。よろしくお願い致します。
- 村上春樹について再度質問です。私は「構築性」というものを意識しません。ひっかかるもの、グッとくるものがあるかどうかだけを重視します。それこそ自明なもので、私にはそれがうまく説明できません。それこそ「勘」のようなものです。しかし、私にはグッとこないものにグッときている方がいる。グッとは来ないまでも、たとえば「構築性」のような言葉用いてそれを評価する方がいる。私は、私にはない他者の感覚には興味があるので、何がどう良いのかを聞いてみたい、そういう素朴な疑問だったのですが、怒らせてしまったようですみません。私はサッカーに興味がありませんが、サッカーに興味のある人の話を聞くのは好きです。その程度の軽い気持ちだったのですが、申し訳ありませんでした。これ以上ご不快にさせたくはないので、この質問にはお答えいただかないで構いません。最後に、私が村上春樹を理解できない理由だけ付言しておきますと、あのいかにも誰にでも書けそうな雰囲気がいまいちピンと来ないのかもしれません。文章はさすがに上手だとは思うのですが、卑近な材料とそれらしいだけで何も言ってないように見える言い回しなどが苦手なのかもしれません。うまく言語化できずに申し訳ないのですが、逆にいうとだからこそ気になるのかもしれません。人に聞くよりまずは自分で考えたほうがいいようです。失礼いたしました。
- 村上春樹の良さがいまいち判りません。ドストエフスキーやカフカはもちろん、ディドロやフィールディング、イヴリン・ウォーなどを繰り返し読んでいる程度には小説が好きですが、たとえば大蟻食様がツイッターでお書きになられていた、村上春樹の「構築性の高さ」というものは私には読み取れないようです。決して趣味が悪いわけではないと思うのですが、この「構築性」もやはり、分かる人には分かる自明なはずのものとして、分からない私は首を傾げるしかないのでしょうか。もし、よろしければ村上文学の「良さ」をご教授いただきたいのですが・・・。
- 20代前半の作家で佐藤さんが将来を期待している人はいますか?
- 日本の小説では大江健三郎が「すごく変」なので好きなのですが、純粋にフィクション・クリエイターとして、佐藤先生は氏をどのように評価されますか?
- 大蟻食さんをはじめとして一日中ツイッターやFacebookなどに書き込みをしているにもかかわらず、人一倍仕事をこなしている人をよく見かけます。実際にどのようにされているのか教えて下さい。右手で原稿を書きながら左手でつぶやいているとしか思えないんですが。
- いわゆる老害のアドバイスを鵜呑みにして駄目な方向に向かっているまじめな若者を救うにはどうすればいいでしょうか?
- 『略奪美術館』を大変おもしろく拝見したのですが、今後、あのようなものを書かれるご予定はおありでないでしょうか。あれを読んで、美術に対する見方が若干、変わりました。
- 「ミノタウロス」を文庫で購入したのですが、どうしてか手に取る気分になれません。しかし興味はあるのです。なるべく前情報は入れたくないので、あらすじに言及せずに「ミノタウロス」の魅力を自薦していただけませんでしょうか。
- 作家を志す者ですが、自分の小説を読み返していると「~は息を呑んだ」「~は目を見開いた」のような常套句の連続で、自分が嫌になります。自分の創作の中から常套句を駆逐し、美麗な文章を書けるようになるには、どのような鍛錬を積めばよいでしょうか?
- 夫である佐藤哲也氏の記録(http://home.att.ne.jp/iota/aloysius/someone/index.html)によれば、毎晩のように二人で映画のビデオを見ていらっしゃるようですが、見終わった後に感想を言い合ったりするものなのでしょうか。また大量のDVDを定期的にTSUTAYAから調達してくるのはどちらの役割になっているのでしょうか。
- 確かTwitterで、魔法少女まどか☆マギカを見るリストに入れた、と仰られていたと思います。 ご覧になりましたか? 感想知りたいのです。
- 日本人で好きな(好きだった)作家はいらっしゃいますか?
- 初めて映画館で観た映画を教えてください。
- 村上春樹のように規則正しい執筆生活を送っている作家もいますが、tamanoirさんはどんな日々を送っておられますか。平均的な一日でもいいですし、ある特定の日でもいいですし、どんな風なのか教えていただけたら嬉しいです。
- いつどのような経緯でカトリック教徒になったのか、差し支えなければ教えてください。
- 「小説の造形性」について再度、質問です。「彫刻」「絵画」「音楽」、いずれも「造形性」については学んだことがなく、ほぼ感覚だけで享受している段階です。ただ、小説についてはいくらか専門書などにも目を通しており、いわゆる「物語」以外の技巧や形式性についても、多少は知っているつもりではいます。しかしその上でやはり、作品を「評価する」という段になると、あくまでも個人的な趣味にこと寄せて、好きな作品、嫌いな作品との比較などから、相対的にその「造形性」の良し悪しを評価する以外に方法を知りません。大蟻食様の仰る「造形性」はこれよりももっと一般化のしやすい、より客観性のある物差しを指しているように見受けらたのですが、いかがでしょうか?
- 作家や漫画家の方々122人が、「自炊」代行は著作権法違反だと業者に質問状を突きつけた件について、どう思われますか?
- 小説の評価において最も重視する点として「造形性」という言葉をよく用いられていますが、「造形性」の具体的な内容について是非教えてください。
- 3D映画で今のところベストはなんですか?
- 得意料理があれば教えて下さい。
- 若者に喝を。
- サウスパークで特にお気に入りのエピソードを教えてください。また、ついマネしてしまうギャグはありますか?
- ワーグナー体験の詳細を、ぜひ教えてください。 何から始まって、どんなのを経て、現在はどんなふうなのか。 とても気になります。
- いらいらしたときの、ストレス解消法を教えて下さい。
- 最近読んで面白かったマンガはありますか?
- 今年オススメの映画を聞かせてください。
- 座右の銘など、あなたの好きな言葉はありますか?
- 社会人になりたての頃のエピソードなどを聞かせてください
- どんな学生時代でしたか? 思い出話などを聞かせてください
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