THE INTERVIEWS

僕みたいな人、といったら語弊があるかもしれないけど、でもそうです。でも僕みたいな人って誰かっていうと、1995~1998における『新世紀エヴァンゲリオン』の経験に遡ります。僕はあれのブームを生きたしそれで快調に人生がねじ曲がったやつですが、そのときよく思っていたのは、誰もエヴァについてまともに向きあっていなかったんじゃないかということでした。僕は当時のアニメ誌はエヴァの記事だけは舐めるようにだいたい追っていたし、謎本と呼ばれるものも、もう忘れてしまったものも多いけど店頭に並んでいた百冊弱くらいのものはだいたい読んでいました。立ち読みとかで。迷惑なことに。しかし、どれもこれも満足の行くことは書いていなかった。一方では死海文書の解釈を現実のキリスト教文献から丁寧に対応させてみたり、一方では心理学に基づいてキャラクターのカウンセリングというか星占いに終始してみたり、一方では社会学やSF文脈に惹きつけてなんとなく社会の問題として回収してみたり……と、こういうのばっかりで僕はなんかすっごくゲンナリしていたんですよ。誰も作品をちゃんと見ていなくね?と思って。だから僕の最終的な友達はオフィシャルのフィルムブックでした。これを何度も何度も貪るように読んだし、アニメの話数も繰り返し繰り返し見た。その後フィルムブックが結構恣意的な編集によって成立していることに気づき、むしろ今度は映画のパンフレットなどを1.5次文献としてかなり重要なものとして読み続けていたりしました。エヴァの謎をエヴァの外の道具を使って解消させることがどうしようもないチートに思えていた僕は、ぎりぎりの内部で考えることをずっとやめたくなかった。そんな中でまだまともだったのは大瀧啓裕の『エヴァンゲリオンの夢』で、あれは大瀧さんが天使本や『ヴァリス』の翻訳者だったこともあってかなりシンボリックな解釈が先行していたけど、それでもよかったのはあれが全部の話数を見て、しかも各話各話に対して結構な分量を割いて解釈を書いていたところ。趣味は違うけどあの手法(の態度)はいいと思って分厚いハードカバーのこの本を中学生の頃は徹夜で読んでいた。その後に現れた北村正裕の『エヴァンゲリオン解読―そして夢の続き』という本が僕の中ではいちばん優れた、というか僕のニーズに合った本だと思いました。そしてその頃にはすでに妄想をかきたてる謎の発信源としてのエヴァシリーズは映画版EoEなどを持って落ち着いていたから、まるで検分のように現れた本だと思った。

さて。

なんでこんなにエヴァ経験について語っているのか。これが僕にとって重要な契機になっているからです。作品を読むことという経験がエヴァ現象においてかなり改造されてしまい、むしろ内容を読まないことのほうが重要になっていた様子が伺えるのです。作品を読むのではなく、作品がいかに消費されていくかを読む方が重要である。でも、僕はこういうのはダメだと思った。確かに作品はコミュニケーションの要足りうるけど、それそのものではない。それが弱っていく未来には作品はいらないということがすでに幻視されています。すでにその萌芽は出ていて、例えばソーシャルゲームの隆盛はまさにこの代表的顕現と言えるでしょう。あれはあれですごい。ただ僕は作品の側についていたかった。そして、作品の側についていたいと思う人の方についていたかった。だからこの本を書きました。とりあえず今日はこんなところで。

2011-09-13 13:58:30